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安倍首相、ノーベル平和賞を受賞してください
私は日本の安倍晋三首相がノーベル平和賞を受けることを望む。2000年には韓国の故金大中前大統領が、2010年は中国作家の劉暁波が受賞したのだから、あえて北東アジアで順序を辿れば、日本が受賞する番だ。核保有や搬入、製造を禁じという「非核3原則」で1974年に受賞した佐藤栄作元首相以後に日本は、ノーベル平和賞と縁がない。世界3位の経済大国である日本が大国としての地位にふさわしい責任感を見せてくれて、その功労が認められ、安倍首相がノーベル平和賞を受けることになれば、隣国として喜んで拍手を送ろう。
当然の話だが、ノーベル賞の中でも最高の権威を認められている平和賞を受けるには軍縮や平和増進に寄与しなければならない。私は安倍首相が、北東アジアの平和増進に寄与することを望んでいる。そのためには靖国神社を参拝してはならない。自分の参拝が周辺諸国にどのように受け入れられるかどうか承知していながら「韓国・中国国民の心に傷を与えようとする考えは少しもない」と欺瞞的な言葉を発することも慎まなければならない。「日本は二度と戦争をしない」と不戦の誓いをするのはよいが、太平洋戦争のA級戦犯たちの前ではなく、侵略戦争の被害者の前でいうのが正しい。形式上誰も反対しない「積極的な平和主義」という曖昧な文言を掲げて軍事力を育てる布石とするのもノーベル平和賞には値しない。
この前韓国と日本を行き来しながら生活してきたある元老と話をする機会があった。その方は韓日関係がうまく解決しない理由について「日本は国のサイズに比べてとても器が小さくて、韓国は(自分が被害者という)一つの事実にのみ過度に執着する」という趣旨の発言をした。韓国と日本をよく知っている彼の洞察にパタリと共感したが、安倍首相の靖国神社参拝以後、にさらに噛み締めてみることになる。
安倍前首相が米国をはじめ周辺の引き止めにもかかわらず、自分の就任1周年という象徴的な日を選んで参拝を強行した理由は本人の信念のためだという分析が多い。これは「敗戦国」ではなく「普通の国」として世界の中に立っていなければならないというのが安倍首相の考えだ。周辺国の機嫌をうかがうため、1次政権(2006~2007年)当時、靖国神社を参拝できないことが「痛恨の極致」という言葉はそこから出た。超大国として、日本の名を世界に認められたいのに、周辺国が70年前の事を持って足首をとることが、疎ましいということだ。
今の日本が国際社会で地位に相応しい待遇を受けられない理由はまさにそのような考えのためだ。安倍前首相の望み通り、全世界の他の国々にも認められる「強い日本」になるためには自国に対する考察と責任感が必須である。靖国神社参拝をめぐり、「国のために命を捧げた方々に尊崇の念を示した」ことや、慰安婦問題で「軍や官憲による強制連行はなかった」など過去の日本を直視しないという今の姿で周辺国たちに尊敬を得ることはできない。
今回の参拝を通して安倍首相は日本国内の保守層結集という所期の目標を達成できるかもしれない。集団的自衛権の行使を向けた平和憲法9条の変更など、自分の策略を実現するかもしれない。しかし、安倍首相が描く「美しい国」(彼の2006年、著書のタイトルでもある)は絶対にできないだろう。
引用:ソウル新聞
http://www.seoul.co.kr/news/newsView.php?id=20131228026005
2000年、南北首脳会談を実現させたことが評価され、韓国の金大中大統領(当時)が受賞したが、金大中政権が発足当時からノーベル平和賞受賞のために組織的な「工作」を行っていたことや、北朝鮮に5億ドルを不法送金していたことが、後年アメリカに政治亡命した韓国国家安全企画部(現・国家情報院)の元職員によって暴露され、「カネで買った平和賞」と物議を醸している
引用:wikipedia