韓日国交正常化50周年にもかかわらず、韓国が批判をやめないのは、韓国の方が日本よりも道徳的に絶対優位だと信じる気持ちがベースにあるためだ。
写真引用:朝鮮日報
日:韓国の道徳性は本当に日本より優れているのか
韓:いくら完全に書き写しても優位には立てない
引用:ネイバーニュース/朝鮮日報
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韓国の著名な女性小説家・申京淑(シン・ギョンスク)氏(52)の盗作問題を、韓国文学界のごく一部の問題として受け流すには時期が良くなかった。韓国は今、歴史問題で日本と激しく対立している状況だからだ。
韓日国交正常化50周年にもかかわらず、韓国が批判をやめないのは、韓国の方が日本よりも道徳的に絶対優位だと信じる気持ちがベースにあるためだ。しかし、韓国の看板作家が日本を代表する作家の作品を盗作したという騒動は、そう信じる気持ちを揺るがす。しかも、「申京淑氏の描写の方が(日本の作家の作品より)比較的優位にあると評価する」という大手出版社「創批」の反論は、韓国が主張する道徳的優越性がどれだけお粗末な基盤の上にあるのかをありのままに示している。
「まねるにしてもなぜ、よりによってあの作家のあの作品なのか」ということから考えなければならない。「天皇万歳」と叫んで切腹した右翼作家・三島由紀夫の猟奇的な性向を語ろうというのではない。三島は日本の現代文学において「日本の美学」を最も見事に表現した小説家だと評されている。日本語の観念性を守るため、自然の音をそのまま表現する擬音語さえ「言語の堕落」だとして排撃した日本文化の純血主義者だ。
申京淑氏が書き写した小説『憂国』は彼の美学的な執着と屈折した右翼思想が一語一句に凝縮された作品だ。今ではソーシャル・ネットワーキング・サービス(SNS)上の冗談で使われるありさまとなってしまった「喜びを知る体」という表現だが、こうした背景や歴史を踏まえ、どのような重層的な意味を持つかを考えたとしたら、申京淑氏はあえて三島の文章を性愛表現のツールとして盗用できなかっただろう。
事実、韓国文化界による日本の作品からの盗作・模倣は昨日今日の話ではない。
歴史学者イ・グァンリン氏は、1895年に出版された朝鮮時代末期の政治家・兪吉濬(ユ・ギルジュン)の著書『西遊見聞』について、主要部分に該当する2章分の文章の半分が福沢諭吉の『西洋事情』を書き写したものだと指摘した。韓国初の近代化書籍は盗作だったのだ。もちろん、知的所有権の概念が希薄で、近代文明の吸収が切実に求められていた時代背景を考えると、事情は十分に理解できる。福沢が自身の出版社を通じて『西遊見聞』を出版・配布したことも考慮すれば、兪吉濬が書き写すのを理解・承諾していたものと思われる。
近代以降、韓国にとって日本は西欧文明を吸収するのに便利な経路だった。チェ・ギョンオク教授が書いた『翻訳と日本の近代』によると、英語の「society」という単語が日本に紹介されたのは1796年だった。この単語が日本で「社会(しゃかい)」と翻訳され使われるようになったのは1870年代だ。「society」に込められた近代的な意味を日本は70年間にわたり考え続け、最も近い単語を定着させたのだ。この言葉はその20年後、特に検討されることもなく韓国で「社会(サフェ)」として使われるようになった。もし日本が漢字を使っていなかったら、韓国も70年間、同じことで悩んだかもしれない。憲法第1条に出てくる「共和」「主権」「国民」「権力」も日本で作られた訳語をそのまま受け入れたものだ。いや、そもそも「憲法」がそうした単語だ。
これは幸いなのか、それとも不幸なのか。近代西欧文明の概念を大して苦労することなく理解できたのは幸運だ。だが、近代的な単語が似てしまい、日本をまねするのにだんだんと慣れていったのは不幸だった。
1980年代まで韓国のタレントたちはアイデアが尽きると釜山に行き、電波を受信できる日本の番組を見てまねた。そのようにして日本のアニメ『マジンガーZ』は韓国アニメ『テコンV』に、日本のドラマ『おしん』は韓国戦争(朝鮮戦争)後の貧しさを描いたドラマ『カンナニ』に、日本全国をめぐる視聴者参加番組『NHKのど自慢』はKBS放送の『全国歌自慢』になった。
各大手企業グループの会長たちが日本に長期滞在した後、「日本構想」という名で新事業を展開し、学界を代表する権威ある学者たちでさえ、日本の書籍を自身の著作物だとして盗作した。もちろん、みんなそうだったというわけではない。だが、一部のごく少数の話でもない。少なくとも1980年代まで「日本」というキーワードなくして韓国経済史・韓国文化史を語るのは困難だ。今の40-50代たちにとって、子どものころの思い出は、かなりの部分で日本の子ども文化の思い出をそっくりコピーしたようなものだ。
韓国人は「日本を超えた」と言っている。
1990年代から韓流ドラマ・携帯電話・半導体・自動車などで日本をしのぐ成果を挙げてきたのは事実だ。しかし、他人が真剣に悩んで生み出した結果物を恥じることなくまねる習慣、問題が発生したら外国のシステムから拝借する習慣は大して変わらない。「まじめな努力と蓄積」という一流の条件がまだ不十分なのだ。「日本に比べ優位」と自慢している分野のほとんどが今、中国に追い付かれ、追い越されているのもこのためではないだろうか。
渦中の出版社「創批」による「日本に比べ優位」という反論を聞くと、韓日国交正常化50周年を迎えた韓国の現実と内実を素直に省みずにはいられない。
>>>韓国人のコメント
共感005 非共感001
いくら良い暮らしをしても優位にたつことはない。文化の豊かさは物質でなく精神に依存するものだからだ。
共感006 非共感001 なかなか品格のある記事だな。朝鮮日報で、このような記事をもっと頻繁に見かけることになれば良いのに
共感000 非共感000
道徳性の優位という表現が本当に、傲慢放縦だと感じられるのは私だけか?
共感001 非共感000 外国人も理解する韓国の代表言語が「早く早く」いうことぐらいは幼い子供も分かる話だ。言語は民族精神だ。時代の流れに合わせて早く対応して経済は成長した。しかしその「早く早く」が簡単に、安易に、楽にという意識で社会全般に浸透しているのを見ると本当に基礎が粗末だ。いつでも簡単に崩れるさる、いつでも消えさることができる。これからは深く、重く、落ち着いているように遅さや困難さがに含まれた意識が根をおろさなければならない時だ。
共感001 非共感000 何の考えもなく日本式用語をタダで受け入れた手癖が盗作の原罪だ。記者の記事に200%共感する。
共感004 非共感006 明白な話だが文化と知識は、水がそのように高い所から低い所に流れる。私たちが不足しているとき、私たちは日本から多くの知識を模造した。これは自然な現象である。日本もヨーロッパやアメリカを模倣した。まだ私達が日本に比べて少し不足してるか、または同等、優位にある分野もかなりある。これは戦争で人類全体に多大な犯罪を犯した日本に対して、私たちが持つ道徳的優越性の基盤が揺れるという見方は次元が異なる問題だ。 共感045 非共感005 古代日本に伝えた文化と文明は韓半島を介していた。日本はどうせ韓国と離れることが出来ない同じ文化圏である。オランダなど西欧文明と文化を先に受けて消化をさせて、東アジアの国々に伝えことは当然であり、これは当時の世界の文化の交流のおかげである。生存のために西欧人たちが日本に来たのだ。これらを使用する用語も輸入品にペルシャが源流である。 共感003 非共感002
いくら日本に向かって「慰安婦問題」や「過去の問題」について謝罪や賠償を叫ぶが、私たち韓国人には脳もなく意識もないということを端的に示している。これでは日本に対して何を言っても日本も動かないし、世界も共感しない。本当に情けなく、特に知識人という人々がより情けない。
共感004 非共感002 今、私たちは他人のものをコピーしないで、自分たちの力だけで作成しなければならない。そのためには、私たちの祖先が残した古典を読まなければならない。まず漢字と漢文を勉強しなければならない。問題は政府がハングル専用を国策としているということだ。これは韓国人の創造性の源泉を、政府が防いでしまった愚かなことだ。ハングル専用を漢字とハングルの混用に変えるのが解決法である。
共感000 非共感000 日本は集団主義に埋没された社会で、すなわち日本人は主体的に倫理や道徳について構成したり、または組織する能力を備えることはできなくて、日本での主な道徳観念は、戦後に米国からマスメディアによって輸入されたものだ。だから日本文学では、人間の本質的なもの探求するには限界がある。 共感004 非共感000 まぁ実際問題、盗用しても恥ずかしいと思う韓国人は少ないよ・・・
共感002 非共感005 日本人が韓国人を軽蔑する理由は、歴史と道徳を基準に、日本を激しく非難しながらも、日本の先進的文化と商品を見れば飛びつく韓国人の二重態度からである。かつて日本は、私たちの発展モデルであった。しかしこれからは「日本的なもの」と「先進的なもの」を区別し受け入れたり、受けるのを拒否する必要がある。 共感021 非共感001
本当に出版社の代表があんな言葉をしたというのか? コピーした作品を置いて、私たちがオリジナルより優位だと? あんなゴミのような言葉を堂々とできること自体が本当に深刻な問題である。
共感009 非共感002道徳的優位性? 私たちは「性奴隷(慰安婦)」という病気の歴史を持っていた。それなのにベトナム戦争の後遺症であるライタイハンが1万人、性観光の副産物であるコピノ3万人を努めて無視してきた。米国内の外国人売春は韓国女性が中国、日本だけでなく、他のアジア諸国を抜いて圧倒的優位にある。このことからも、必ずしも私たちが道徳的優位にあると言えるのか? 共感007 非共感005 外国の歴史家たちが、私たちの道徳性(あるいは被害)を認めてくれるのかもしれない。しかし外交とは別物である。過去に、世界の主要人物が日本を訪問した場合、韓国も訪問したことが多かった。しかし最近ではメルケル、モディファイ、ミシェルオバマ、クリントン、ウィリアム皇太子は、すべて日本だけ訪問するだけで帰った。最近の西洋人たちが私たちを見る視点は、一言で言えば「立ち寄る必要があるの?」である。
共感004 非共感001 日本をコピーし、日本文化に熱狂しながら、実体もない親日に悲憤し非難し、反日に盲目的に熱狂する行動も捨てなければならない。
国内を見てごらんよ。「信じる気持ち」って笑わせる。