檀園高校と教育委員会側がセウォル号で犠牲になった学生246人を全員除籍処理したことについて公式謝罪したが、遺族はこれを受け入れることができないと座り込みを続けると明らかにした。
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セウォル号犠牲学生除籍処理公式謝罪…「受け入れることはできない」
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檀園高校と教育委員会側がセウォル号で犠牲になった学生246人を全員除籍処理したことについて公式謝罪したが、遺族はこれを受け入れることができないと座り込みを続けると明らかにした。11日午後の檀園高校と京畿道教育庁などの関係者6人がセウォル号遺族が座り込みをしている檀園高校の玄関先に出向き公式に謝罪した。 彼らは「遺族に通知せずセウォル号で犠牲になった学生を除籍処理した点について心から謝罪する」としながら「今年2月、困難な時期があったため申し上げなかった」と明らかにした。 しかし遺族は「真正性のない謝罪は受け入れられない」と反発した。
遺族側は「なぜ何の相談もなく、犠牲となった学生を除籍処理したか理解できない」としながら「死亡届すら受けていないのに、なぜ除籍処理したのか」と鬱憤を吐いた。 ある遺族は「私たちが除籍処理の事実を知らずに座り込みをしていない場合、謝罪どころか最後まで、この事実を隠しただろう」とし「協定書に署名する前に、除籍処理の事実を知っていれば署名を防ぐことができたのに、それができなくて悔しい」と涙を流した。
同日午後、京畿道教育庁は除籍処理を中止して、データの復元のための行政手続を推進することにした。 京畿道教育庁は、教育行政情報システムのNEIS上除籍処理された学生246人を3年在学中の状態に変更する方針である。
キム京畿道教育庁政策補佐官は「除籍処理を中止して、状態の復元を推進する」とし「規定に反することだが、セウォル号惨事の真相究明が終了するまでは犠牲になった学生の在学を維持することに決定した」と説明した。
遺族側の終わらない抗議に檀園高校の校長も出て、夜遅くまで遺族側との話し合いを続けている。 チョン校長は「去る3月辞令を受けて赴任したので、セウォル号で犠牲になった学生が除籍処理されているとは思わなかった」とし「記憶の教室問題を巡って、遺族と在校生保護者の間で衝突がないことを願って仲裁をしてきた」と説明した。
4.16家族協議会委員長は「檀園高校関係者たちは、かえって遺族の怒りを大きくしているだけ」とし「事態が大きくなっただけにイ教育長が直接解明に乗り出すべきだ」と話した。
続いて「学校と教育委員会からの除籍処理に関連する責任者が心から謝罪をして、当局の懲戒手続きも伴わなければならない。データ復元は、その後の問題」とし「このような手順が行われれば、社会的合意を成し遂げた記憶の教室の移転について議論する」と付け加えた。
檀園高校は、2月29日にセウォル号の惨事の犠牲学生246人全員に対し、1月12日付で除籍処理を行った。 9日の記憶の教室移転問題について社会的合意を盛り込んだ「4・16安全教育施設建設のための協約式」が終わった後、このような事実が知られ遺族は解明を要求している。遺族らはまた法的対応の方針と一緒に記憶の教室移転を含む協定実行を中断すると明らかにし、檀園高校の玄関で無期限座り込みに突入した。
>>>管理人補足
久々にセウォル号の遺族について記事を翻訳してみました。もうセウォル号関係の記事や、遺族の横暴について語れば非常に複雑で長くなる(管理人も全てを把握できていない)のですが、今回の件は比較的、遺族側の横暴な内容が分かりやすので、少し補足説明しながら紹介しておきます。
遺族のエゴで占拠が継続中の学校の教室
今回の事件のそもそもの発端は、セウォル号の沈没事故で犠牲になった246人が在学していた檀園高校で、246人が授業を受けていた教室をセウォル号惨事を忘れないためにも「記憶の教室」として永久的に保存(と言う名の、遺族にとっての我が子の思い出空間)しようとした事にあります。
記憶の教室が何教室分あるのかは定かではありませんが、246人を単純に30人で割っても8教室分(事故当時、高校2年生)です。セウォル号惨事当初は同情的な側面もあり、教室を遺族に開放(?)して好きなようにさせていましたが、日常が戻ってきて、いざ在校生が進級し新入生が入ってきた際に問題が発生しました。
事故が発生した2014年当時、檀園高校の2年生が事故にあいほぼ全滅してしまいました。そして当時2年生が使用していた教室は遺族に占拠されています。2015年に新入生が入学してきても、2014年の3年生は卒業するので、空いた教室に新入生を入れればなんとかなっていました。
問題は2016年の今年です。このまま記憶の教室として遺族に占拠されていると、新たに入学してくる生徒を収容できません。
そこで今年になって遺族側と話し合い、記憶の教室の移転をお願いします。建前は「惨事を忘れず記憶するため」ものですが、本音で言えば「我が子の思い出の場所を残しておきたい」なので、移転には乗り気ではありません。
モンスターの相手を押し付けられた校長が倒れる
檀園高校側も遺族と在校生の保護者との板挟みで動けないため、韓国の宗教関係者で作る「宗教平和会議」が仲裁に入り、3ヶ月間ほど話し合いが持たれました。
そして記憶の教室の移転を前提とした「4・16安全教育施設建設のための協約式」が行われました。しかしこの協約では、記憶の教室の移転をすることで合意はしていますが、詳細は何も決まっていません。この話し合いに参加していた当事者である、在校生の保護者代表は、移転の詳細が何も決定されないことに呆れて、協議途中に離脱してしまいます。
その為、4・16安全教育施設建設のための協約式には、在学生の保護者は誰も参加していません。しかも協定式の調印が終わった後に檀園高校の校長が倒れて病院に担ぎ込まれました(ストレスが半端なかったんでしょう)
ここまでが今回の事件の伏線です(え? 話が長いって? すいません・・・ もう少しお付き合い下さい)
どこかで聞いたことのあるフレーズ「真正性のない謝罪は・・・」
そして今回、遺族側が文句を言い出したのが、学生記録を閲覧できるNEISというシステムのデータから、セウォル号で犠牲になった学生246人分のデータを削除してしまった事。しかし韓国で学生が死亡すると同様の措置がとられようで、別に悪意があってデータを消去したのではなさそうです。
このデータの運用は韓国の教育基本法と初・中等教育法に基づいて行われているので、データ削除は合法です。
しかし、遺族側は「何の相談もなしに削除した」と言って譲りません。結局、教育庁と学校側が折れて、法律には違反することになるが、既に死亡しているセウォル号で犠牲になった学生246人分データを「3年生として在学中」という状態で復元させることになりました。完全に幽霊学生です。
しかし「真正性のない謝罪は受け入れられない」と、どこかで聞いたことのセリフで遺族側は譲りません。相手のミス(本当はミスじゃないけど、圧倒的強者の被害者様への配慮がたりないというミス?)につけ込んでゴネます(笑)
遺族側にすれば、相手が間違ったので、今後の交渉を有利にさせるためにも全力で傷口拡大を狙ってくるだろうし、そもそもは移転すると意味(我が子の思い出の場所を残しておきたい)がなくなるので、これを理由に移転で合意した協約破棄が最終目的です。
結論:韓国の「真正性のない謝罪は受け入れられない」とは「この程度の金か便宜か物は貰えるだろうと設定しているレベルに達していないのでやり直し」という意味に他ならないということ。
誠意を金か便宜か物で示せというのは本当にヤクザと一緒ですね。
一方で遺族側の代表者たちは・・・
現在、楽しい欧州旅行中です(笑) 一応建前は、エストニア号沈没事故(1994年9月27日沈没)の遺族や、ヒルズボロの悲劇(1989年4月15日にサッカースタジアムで発生した群衆事故)の遺族などと会談して、意見の交換を行い、街頭デモを行い欧州の人々にセウォル号惨事の真相究明を訴えつつ、今月の15日までローマ、ロンドン、リバプール、パリを観光訪問するそうです。 本当に韓国人って、直ぐに海外でデモや抗議活動をしますね。これも事大主義くるからくるんでしょうか? 管理人としては本当に犠牲になった本人達が、このような親の姿を望んでいたのか疑問ですけどね。
セウォル号遺族最強伝説はまだまだ続く!!!
慰安婦もそう。
まあ国全体が日本に対する被害者ビジネスをやってるからねえ!