日本では流星が「第二次大戦最強の艦上攻撃機」という表現を使いながら自画自賛している。
第二次大戦最強の艦上攻撃機? 愛知 B7A 流星
引用:ネイバーブログ
http://goo.gl/HsLkfV
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流星は、それまで帝国海軍では厳格に任務別に区分され、使用された艦上機とは異なり、開発段階から、すでに多任務艦上攻撃機として開発され、急降下爆撃、水平爆撃、雷撃、偵察を兼ねることができるように設計された。
日本海軍の定義では、急降下爆撃が可能な機体は「爆撃機」、雷撃が可能な機体は「攻撃者」に分類され、水平爆撃は両機種とも可能なことを要求していた。
そして爆撃機であり、雷撃機でもある流星は、名称を付ける段階から海軍当局者を悩みに陥れることになる。
伝統的に海軍では、単発の爆撃機には「星」がつく名前を、攻撃機には「山」がつく名前をつけていた。最終的には爆撃機に準ずる流星と名付け、愛知航空機製作(A)7番目の艦上攻撃機を意味する「B7」をあわせて、B7Aという分類記号が付くようになった。
すなわち流星は、艦上爆撃機と雷撃機としての二機種の役割を統合して、空母運用の効率化を一層高めるための新型機であった。
流星が持つ設計上の特徴を挙げると、大型単発複座機で全金属製モノコック構造、主降着装置は、主翼内側に折りたたまれ収納され、尾輪も引込み式だった。
最大の特徴は、米海軍のF4Uコルセアとよく似た逆ガル翼だった。
流星は他の艦上攻撃機や爆撃機に比べて優れた性能を持っていたが、量産が開始される頃には、作戦行動が可能な正規空母が残っておらず、艦上機としての性能を発揮する機会は失ってしまった。
帝国海軍から新型機開発の任務を引き受けた空技廠には、次世代艦上攻撃機に要求した要項や、公式文書は残っていない。しかし大阪に位置する愛知航空機で働いて、この機体の開発を主導した尾崎紀男が残した個人記録により、その一部を知ることが出来る。
・単一機種で艦攻艦爆を兼ね水平爆撃、急降下爆撃、雷撃が可能であること
・最大速度は、各爆弾を装着した状態で高度5000mで555.6km/h以上
・航続距離は500kg爆弾搭載時、正規状態で1,852km以上、過荷重状態で3333.6km以上
・離陸能力は800kg爆弾搭載時の過荷重状態で離艦滑走距離100m以下(風速12m/s)
・着艦速度は、爆撃正規状態で120.4km/h以下
・爆弾の場合は、800kg1発、または500kg1発、または250kg2発、または60kg6発
・魚雷の場合は、850kg1発、または1000kg1発のいずれも装備できること
・武装は翼内7.7mm機銃2挺、後上方7.7mm旋回機銃1挺
・空戦性能は、九九式艦上爆撃機に匹敵する運動性以上
・構造は堅牢で整備が簡単、工作が容易で量産に適すこと
日本海軍の新型機作戦要件は、いつも厳しいく無理な要求をしたい場合が殆どだが、今回要求されたレベルの機体は、陸上機、艦上機を問わず、当時の日本の航空技術で完成させることが疑わしいほど厳しい内容だった。
海軍はこの新型機で、実戦配備を控えていた艦上爆撃機「彗星」と艦上攻撃機「天山」を交換しようと狙っていた。
愛知者航空機は艦上爆撃機と水上機に関して、かなりの経験を積んでいたが、雷撃任務を遂行する艦上攻撃機については設計の経験がなかった。しかし空技廠は昼夜を問わず設計陣を圧迫し、誉11型発動機を装備した試作1号機が1942年12月に完成し初飛行を行った。
しかし、続く試験飛行で試作機の強度が不足しているという衝撃的な結果が出た。
さらに重量オーバーを指摘されたことを考えれば、さらに悲観的な結果であった。それに加えて楕円形主翼の空力特性が良くないという欠点も発見され設計陣を困惑させた。
問題点を解消するために、全体的に再設計が施された試作機2号機は、主翼の後端が直線となったテーパー翼に変更されB7A2という分類記号が付けられてことになる。関係者には流星改と呼ばれ、この改良型が量産機の原型機になり、量産が開始される。



機体の特徴「米軍艦載機を突破しろ」
高速性能を得るために、空気抵抗を増やす爆弾は胴体内に搭載する。しかし航空魚雷は胴体内に収まらず、機体下部に装備することになった。この機体の主翼は逆ガウ翼を採用していて、主降着装置の長さを減らすことができ、過荷重状態での着艦の際に衝撃を吸収するのに有利で、構造強度面でも優れていた。
さらに翼と胴体の部分を接続するフィレットを必要としないため、重量軽減の効果もあった。
艦上攻撃機「天山」には防弾装備がないのに対し、この機体は日本の艦上攻撃機の中で唯一、防弾装備を基本装備している。量産機には、離陸出力1825馬力の中島製誉12型を搭載し、出力に合わせて4翅定速プロペラを採用している。
防御力を向上させ、強固な機体構造のため機体重量は3.5トン、過荷重状態では6トンを超えることが弱点として指摘されたが、2千馬力級のエンジンと進歩した空力性能、自動フラップを採用して、攻撃機としては信じられない高速性と軽快な運動性を併せ持っていた。
流星の量産は1944年4月から始まったが、高性能な機体の製造にかかる手間と、B-29による空襲、12月7日に発生した東南海地震により量産は大きく遅れた。
流星はその高性能な能力を生かすこと無く、終戦までに量産された流星は114機に過ぎす、戦局に何の影響も及ぼさなかった。

果たして流星は当時最高の艦上攻撃機だったのか?特に日本では流星が「第二次大戦最強の艦上攻撃機」という表現を使いながら自画自賛している。
もちろん流星は、誉エンジンの信頼性の低さや、空母運用の適合性を離れて、客観的にスペックだけ見て比較してみると、当時、米軍が使用していたアベンジャーやヘルダイバーなどに比べて、次元が異なる高性能機であったことは明らかだ。
流星の速度は、戦闘機である零戦52型と比べても遜色がなく、機動性も重く鈍重な米軍の艦載機とは比較にならないほど高かった。そのため空中戦に遭遇したとしても、戦闘機と勝負が可能な機種とまで言われている。
しかし、これは攻撃機とての本来の任務と目的を混同した、旧日本海軍首脳部の誤った判断であって、それ以上でも以下でもないと断言することができる。
性能面を比較して見ても、流星が開発れた当時、米軍はベトナム戦争まで使用されることになる、レシプロ攻撃機の傑作機と呼ばれたスカイレーダーと、たとえ失敗作であっても魚雷を3発も積んで飛行が可能なAMモーラーのような新型機が用意されていたのだ。
イギリス海軍も、3000馬力のターボプロップエンジンを搭載して時速700 km以上で飛行が可能な ウェストランド・ワイバーンの量産準備をしていたが、戦争には間に合わず、戦後になって実戦配備することになる。
もし一部で主張するように、太平洋戦争が1946年まで続いた場合、あるいは連合艦隊の空母がミッドウェイで全滅しなかった場合、日本の空母から発進した流星艦上攻撃機が遭遇するのは、アベンジャーやヘルダイバーではなく、まさにこのようなモンスター級の攻撃機や、ジェット戦闘機だっただろう。
これはおそらく、日本が戦争中に戦闘機分野で独創的な機種を開発できなかったことについて、性能が比較的優れていた流星を通じて自尊心を慰めようとする補償心理ではないだろうか? >>>韓国人のコメント
韓国人
当時最高かどうかは分からないが、どうせ少数しか生産されなかった.... しかし性能は良いですね。艦上攻撃機なのに20mm機関砲を装備して、最大速度が567kmだなんて・・・
韓国人 ヘルダイバーも20mm機関砲を装備していますよ。ただし速度は流星よりも遅いですが・・・
韓国人 速度は零戦21型よりも速く、機動性も零戦に匹敵する場合、ワイルドキャットのような旧式機にとっては危険な相手だったでしょうね。しかし、現実には610キロ以上のヘルキャットに加え、650キロを超えるコルセア、さらにはマスタングを相手にする場合・・・ その性能も無意味だった。 韓国人このような大戦中の軍用機の情報は少ないので、本当に良く見ていきます。
韓国人 天山はヘルキャットやコルセアに抹殺されていたが、天山とほぼ同じクラスのエンジンなのに流星の方が高速なんですね。
韓国人 軍の無理な要求を達成しようと設計者の方々は苦労されたんですね。日本機には珍しく最初から防弾装備を施したなんて、当時の日本のレベルから見れば、ほとんど奇跡のような飛行機ですね。 韓国人 確かに高性能だったようだけど、仮に量産できても、既に日本の飛行機が魚雷や爆弾を搭載した状態で、米国艦隊に近づくのは不可能なレベルまで、米国の防空システムは完成されていたので、戦局影響を与える事ができたのか・・・ 韓国人 こんな珍しい軍用機を紹介してくださってありがとうございます。
韓国人 天山の開発を飛ばして、いきなり流星が登場していれば大活躍していただろう。韓国にとっては良くない話だけど
韓国人おぉぉ、私のお気に入りの流星だ!!!
韓国人日本にあんな高性能な艦上攻撃機が作れたんですね。米軍機に比べて、速度も早く、雷撃、急降下爆撃、偵察までこなすなんて、戦争の前半戦に登場していたら、戦争の行方に影響を与えたかもしれませんね。
>ほとんど奇跡のような飛行機ですね
と水車も作れなかった朝鮮人が言ってます