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引用記事
韓国軍人たちによって集団輪姦...彼の名前は "KIM"
一生韓国人の「夫」を待っているパームティーさん
戦争被害者の女性パームティーおばあさん。戦争中に付き合った韓国軍の男性はおばあさんが妊娠した事実を知って彼女の元を立ち去った。「必ず戻ってくるつもりだ」と言ったが、帰ってはこなかった。
蝶基金の恩恵者の1人であるパームティーさん(68)さんをたどる道。なんもバスは2時間以上も土埃飛ばして未舗装の道を走った。波の上の小さな船のようにやたらに「ゆらゆら」と畝っている。バスから眺めるベトナムの土地は我が国と特に似ていた。緩やかな風景と野原とくねくねと流れる川。目を閉じて覚ますと、もしやここは韓国ではないかと思ったほどだ。
(中略)
彼女が持っている一番上等な服を着て私たちを迎えてくれた、おばあさんは戦争当時、韓国軍の一人の男性と会った。おばあさんは二人が互いに好き同士だったと述べた。しかし男性はおばあさんが妊娠した事実を知って出て行ってしまった。出て行く時にその男性は「今はこの地域を離れるが、後に書類を作成して連れて行ってやる」という言葉を残した。しかしそんなことはなかった。おばあさんは一人息子を産み、育てなければならなかった。
おばあさんはその男の名前を「金(Kim)」とだけ知っている。白馬部隊29連隊所属と言っていた。
(中略)
白馬部隊29連隊、金(Kim)。この「パームティー」という女性は何だったのか問う。あなたの一家がここで一生あなたも帰りを待っているのにあなた、どこで何をしているのか…。貧乏で、貧困で、限りなく純粋なため、あなたの甘い嘘も信頼に変えてしまった。彼らは「あなたがくれたのが愛だった」だったと聞いた。しかし本当は愛とはほど遠い暴力だった。
なぜなら女性に名前すら教えてあげなかったあなただからだ。
韓国軍に集団輪姦されたHuongさん
また他の蝶基金の恩恵者 Huongさん(66)を訪れた。小さな体にきれいなラインを持つHuongさんは、戦争当時、米軍基地で掃除や炊事をしながら生計費を稼いだ。その日は韓国兵士が飲んだ飲料水を片付けていた途中だったという。1人の兵士が「お前もオレンジジュースを飲むか?」と聞いたという。おばあさんは疑うことなく、ジュースを受けて飲んだ。しかし、しばらくしてHuongさんは気絶した。目を覚ますと服が剥がれていたという。Huongさんはやっと自分が輪姦されたことに気づいた。おそらくその場にいた韓国軍の数人に集団的にやられたはずだった。その時Huongさんはわずか二十歳だった。
それでも食べて生きなければならないので、おばあさんは再び部隊を訪ねた。しかし、彼らはこれ以上仕事をさせずHuongさんを追い出した。その後Huongさんは妊娠したことに気づいた。娘の身で妊娠をしたことも、韓国軍兵士に集団輪姦を受けたことが知られれば、世間が自分を排斥するはずだった。一人の人生が出口の見えない闇の中に沈んだ瞬間だった。年老いた父は最初の子供を無理に降ろすと、これ以上子供を生むことができないだろうと言った。お腹の中で育つ生命なので、Huongさんはどうしようもなかった。そしてHuongさんは娘を生んだ。
一人で娘を育てることは身にしみるほど大変だった。地方を飛び交いながら働いて5年後、ベトナム人の男性出会い子どもまで設けたが結婚はしなかった。韓国軍に輪姦された女という噂で男性の家族が反対したのである。娘が大きくなるにつれ、父親が誰なのかと尋ねてくると、Huongさんはただ「金(Kim)」と答えた。
金(Kim)は誰の名前もなかった。それは韓国人将兵たちが自分の身分を隠すために使用した卑怯で拙劣な代名詞であるだけだった。
ライタイハンの娘は学校でいじめを受けた。敵国の子、敵軍の血を受け継いだ子供という冷遇と蔑視だった。娘は結局学校をやめて社会に飛び込んで、あらゆる苦労をしながら生きてきた。
そしてもう一つの話を娘が加えた。
ホーチミン市で宝くじ販売する仕事をして偶然60代の半ばの韓国人を会いました。そのおじさんに勇気を出して私はライタイハンと話しました。すると、おじさんが「私がお前を助けてあげる」と言いながら宝くじを10枚買ってくれました。本当に有り難かったです。ひょっとしたら父かも知れないという考えも浮かびました。
しかしおじさんがくれたお金は全て偽物でした。
その日のは号泣しました。これまでのすべての悲しみが一気に噴出しました。
(中略)
人生はなぜこんなに過酷か。神は彼女に絶えず「許せ」とだけ語っている。まだ父を探したいかと尋ねた。娘はイヤだと言った。
父を憎んで憎悪するライタイハンはこの娘以上はいないだろう。
(中略)
ベトナムがそうしたように、先進国入りした大韓民国が、これからは包容力と正直さを見せてあげる時ではないかと思う。ベトナム政府は現在、国として公式的に戦争被害賠償を要求していない。戦争の後、社会を再建して経済を起こすことが緊迫した状況で賠償を要求して強大国から孤立することはできなかったのが理由だ。「過去を忘れ、未来を志向する」というスローガンはそのように始まった。
しかし、ベトナムの国民たちまで過去を忘れたわけではない。彼らの人生の中で依然として現在進行中であり、また愛と和解を基盤とした癒しを絶対的に必要としている。
抱いた女性を無視する父、自分で蒔いた種の子どもを知らないふりをしている父は尊敬できない。それは国家的レベルでも同じだ。過去を認めて彼らに謝罪することから、新しい大韓民国と尊敬される父は始まるのだ。
(以下省略)
引用:ネイバーニュース/オーマイニュース
http://news.naver.com/main/read.nhn?mode=LSD&mid=sec&sid1=104&oid=047&aid=0002049353