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2013/11/26 (Tue) 15:57:29

明治維新以前に人を殺し英国大使館を焼き討ちした伊藤博文の方がテロリストニダ! 

安重根義士をオズワルド、文世光に例えるとは

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日本で最初の首相・伊藤博文(1841~1909)は、
日本政治史で特異な記録を持っている。

歴代首相の中で、戦争ではない状況で殺人を犯した唯一の人物だという点だ。
殺人だけでなく外国公館へのテロも行った。

20歳前後の彼は、強烈な尊皇壌夷(天皇を敬って西欧列強に対抗する)
主義者であった。1862年、伊藤は著名な国学者だった塙保己一の息子であり
同じ国学者だった塙忠宝(次郎)が幕府からの依頼で天皇廃位の先例を
調査するという噂を聞きつけいきりたった。

そして山尾庸三とともに刃物を振りかざして塙忠宝を殺害した。
政治的見解が違う人物(長井雅楽)を暗殺しようとして未遂に終わったこともある。

1862年12月には英国公使館の焼き討ち事件に加担した。
殺人犯でありテロリストだったということだ。

伊藤は直後の1863年に長州藩の密令を受けて同僚4人と共に英国に密航する。
一生一代の転機であり日本の運命にも大きな影響を与えた留学だった。

最強国の英国で新しい文明と国際情勢に開眼したのだ。
伊藤・井上馨(聞多)・山尾庸三ら5人は帰国後、日本を新興列強へと
押し進めることに寄与し今でも「長州五傑」と呼ばれて賞賛を受けている。

今年、密航150周年を迎えて7月に伊藤一行を助けた英国人教授夫婦を
賛える記念碑が英国で除幕され、安倍晋三首相は感謝状を贈った。

すでに当代において「明治時代の泰山喬嶽」(徳富蘇峰)と呼ばれた伊藤だが、
韓国人の立場としては「侵略の元凶」と言わない訳にはいかない。
それだけ韓日強制併合と伊藤は切っても切れない関係だ。

ある者は彼が征韓論に反対していたという点を挙げる。
しかし慎重な漸進論者として力をさらに育てて、
国際情勢が友好的になる時を待つ側だったと見るべきだろう。

乙巳勒約(第二次日韓協約)から強制併合にいたるまでの歴史が
全てを証明している。 中国のハルビン駅は1909年に安重根義士が
伊藤博文を狙撃した場所だ。ここに記念碑を立てることに
官房長官をはじめとする日本側の人々が「安重根は犯罪者」だと言って反発している。

さらにひどいのは「自分の母親を殺害した文世光(ムン・セグァン)の像を
ソウル駅前に立てることと同じ愚かなことを、娘の朴槿恵(パク・クネ)大統領は
まだ悟ることができない」(11月20日付産経新聞)といった、
あきれるような例えまで持ってくるほどだ。

日本のある元外交官は「米国で『ハルビンの安重根記念碑は、ケネディ大統領が
暗殺されたダラス市に暗殺犯オズワルドの記念碑を立てるようなものだ』と講演すると、
聴衆が水を打ったように静まり返った」と遠慮なく自慢した。

わずかな易地思之(相手の立場で考えること)さえない軽薄さに、
ただ舌打ちするほかはないのだろうか。


引用:中央日報
http://japanese.joins.com/article/719/178719.html?servcode=100&sectcode=140&cloc=jp|main|top_news 

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